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    私は意志
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2011年7月

2011.07.25

ヒーリングとエゴ

先日とあるイベントにて、ある特定の様式のヒーリングをするヒーラーの方と話をすることがありました。その時に常日頃よく感じている「あること」をこの方から強く感じ、そのことについて再考察させられました。

そのイベントには、出展する友人の手伝いで行ったのですが、ディスプレイの準備などがひと段落して少し時間が有ったときに、近くにいたこのヒーラーの方と目が合って、最初は世間話をしていただけだったのですが、あまりにも私の言ってることも聞かずに自分の思いを強く主張したり、必要のないネガティブなエネルギーをぶつけてくるので、少し引き気味に聞いてるだけになってしまいました。

その後はとても忙しくなったので、その彼女のことはすっかり忘れていましたが、何時間か経った頃に、彼女が私たちのテーブルにやって来て、その商品についてあれやこれやと隣にいた友人に尋ねているのが目に入ったかと思っていたら、次の瞬間に、どうやら私のビジネスカードに書いてあった「アンジェリック・レイキ ティーチャー」という称号に対して強い反応を示したらしく、「ちょっと!」と私の前にやって来て、「このビジネスカードはあなたよね?」「このアンジェリック・レイキとは、私の見解ではレイキのことではないはずだけど、あなたはどう思っているの?」とだしぬけに聞いてきました。

すでに彼女のヒーラーとしては「?」とも思えるネガティブなエネルギーにちょっと引き気味になっていたので、ある意味失礼とも取れるあまりにも唐突なその質問に対しても適当にあしらうように、「はい、アンジェリック・レイキは、レイキと付いていますが、あなたがレイキだと言っている臼井レイキとは全く違った種類のヒーリングです。」と答えると、「私はアメリカのなんたらレイキ協会に属していて正式なレイキヒーラーとして15年のキャリアがあるけど、その協会の会員の何人かがアンジェリック・レイキもレイキだと主張して問題になっている、云々・・・」と話し始め、「あなたはアンジェリックレイキをやるのよね、英国にいるあなたがアンジェリックレイキはレイキではないと言ったと言うわよ、それでいい?」とまるで強迫するかのように「あなたが言った」のところで私と私のビジネスカードを指さして、真剣を通り越した怖い顔で迫ってきました。

私のビジネスカードには、アンジェリック・レイキ&臼井レイキ・ティーチャーと記しているので、「そこにもあるように、どちらのヒーリングも私は行いますが、全く違う種類のものですよ」と答えるにとどめました。

私にとってはアンジェリック・レイキと臼井レイキの違いを明確に理解していることは必要かつ大切なことですが、どちらが上でどちらが下かとか、どちらが主流でそれゆえもう一方が亜流という発想から違いを明確にすべきと思っているのではありません。

アンジェリック・レイキの素晴らしさとか内容については全く興味がなく、ただただ自分たちのやっている「臼井レイキ」以外は亜流と言わんばかりのその態度に呆れかえってしまいました。看板の方が内容より大事、と言っているようなものです。大体自分がそのように強く信じているなら、その協会の部外者である私が言った言わないはあまり意味のないことと思います。私が「違う」と言ったのは、もちろん違いを理解しているからですが、アンジェリック・レイキを亜流と認めた、と言う風に伝わるのだろうなぁとぼんやり感じましたが、彼女がそう思ったところで、アンジェリック・レイキの素晴らしさ少しも損なわれたりはしないですし、そんな波動の低いいざこざに関わるべきではないと感じました。

本当にこういう人に限って、他人が言ったことにいちいち反応するのです。自分が思っていることが正しいと言うことを人に説得するときに、内容そのものでなく、自分がいかに素晴らしいかをキャリアの年数や、属している協会を使って表現されても、ちっとも凄いと思えない、と言うことに気づいていないのです。そういう意味では気の毒とすら思ってしまったりもします。

ヒーリングのキャリアが15年とか50年とか、1カ月とかでその人の偉さがわかると思っているのなら、とんだヒーラーだと言われても仕方ないですね。が、悲しいかなこのタイプのエゴを持つヒーラーやセラピストは、思っているよりずっと多いのです。。。

こちらの人に多いタイプがこの人のようなMe,Me,Meタイプのエゴです。自分がいかに素晴らしいかを、そのヒーリングそのものでなく、経歴、資格、継続年数、属している団体などを使って言葉で誇示するタイプで、こういうヒーラーは、自分以外の人には実際にはあまり興味もなく、受け手が癒されたかどうかではなく、自分がその人を癒したことの方を大切に思いがちです。第三者の立場からは、本当にわかりやすいのですが、自分ではなかなか気づけないようです。

エゴの強いヒーラーは、もちろんコントロールも強いです。、無意識に、または時には意識的に人や状況を自分の思うようにコントロールしようとしたり、自分のパワーやエネルギーの支配下に置こうとします。たとえ100年のキャリアを持っていようと、百万人の弟子が居ようと、多くの人に教えてきた経験豊かな先生であろうと、コントロールが手放せないと、上手くいかないことが多々起こると思います。経験豊かであれば、コントロールしやすい人を見分ける能力が発達しますので、ますますそのエゴに気がつかない、ということに陥ったりすることになります。

ヒーラーやセラピストは、専門職、そして技術職ですから、自分のやっていることに対して自信とプライドを持って行うべきだと思います。ただ、この仕事は相手があることであり、またある意味相手次第な部分がほとんどであり、結局相手のヒーリング能力、自然治癒能力を引き出す事を手伝うのがセラピストやヒーラーの役割なのです。

目に見えた結果が出た時に、エゴの強いセラピストやヒーラーは、自分の手柄だと勘違いしがちですが、本当は使われているのは施術者の方で、ヒーリングを行うのは、被施術者、つまりはクライアント、受け手の方なのです。

私はそんなことない、と思っている人でも一度考えてみてほしいと思います。私自身も気をつけるようにしていますが、幸いなことに、こちらの人の方が「エゴむき出し」のヒーラーやセラピストが多いので、反面教師になってくれる人が多くて、忘れているときに気づかされたりと言うことが多くあり、自分を顧みて反省出来る機会を多く持てることに感謝しています。先の彼女もその一例ですね。と言うことは気をつけろってことかな。気をつけます。

2011.07.09

今この瞬間 その2

やっと少し上昇してきました。ここ2週間ぐらいは、気分の落ち込みだけでなく、免疫が落ちると必ず現れるCold Sore(口唇ヘルペス)まで出てしまって、身体的にも本当に調子が悪いんだなぁ、なんてすこし他人事のように思っていました。

なんでこんなにエネルギーレベルが下がってしまったのか、原因特定は難しいですが、主な原因のひとつは6月末にマカバの活性化の方法を上級レベルのものに変えたことではないかと思い当りました。ここ数カ月内観することが多くなり、またNESなどをやったりして、いろんなものを掘り起こしているせいか、時々とても感情が不安定になっていたのにもかかわらず、マカバの活性方法を変えたことによって、私のマカバのバランスが崩れてしまったのではないかと疑っています。そして昨日久しぶりに元の活性方法に戻してみて、安定感が全然違っていることがわかりました。私にはまだ準備が出来ていなかったのか、それとも時期が悪過ぎたのか。。。もうしばらく安定するまで、上級レベルはお預けですね。。。

かなり落ちていたせいか、この間書いたこの「今この瞬間」の前フリがやたら暗いものになってしまって、続きをどうしたもんかとちょっと悩んでいました。この話題は思いっきり前向きで自分を含め人々を勇気づけるために書こうと思っていたことなので、あんなふうに始める予定ではなかったんです。。。

私たちの無意識から来る思考パターンや、未解決の感情パターンが、現実を作り上げて行くわけですから、現実世界に生まれて来るために産道を出るときに気を失ってしまうほど苦しんだことが、私のこの人生に多大なる影響を与えていたとしても不思議ではありません。もちろんだからと言って、この私の人生が後ろ向きで否定的なものになってしまうのも仕方ない、などとあきらめているわけではありません。

私の人生はずっと長い間、どこかでグラウンディングすることを拒絶し、100%自分自身に向き合うことを怖れ、避け続けてきたような気がします。それが、やっと私は、この今の私自身で良いのだと気づくまでにとても長い時間を要しました。

そして先にも触れたように、2年ほど前にアンジェリックレイキの天使のアチューンメントをオーバーライトしてもらったときに、この3Dに身体を持って存在していることに対して、今まで味わったことのないほど強力な、湧き上がるような喜びを感じ、「3Dで肉体を持って存在していること」とはほとんど奇跡とも言えるほど貴重で大切でかけがえのない経験であり、私は自分自身で望んでここにいるのだ言うことを理屈ではなく、そういうものだと悟ることができました。(その時の日記はこちら

その時味わった「喜び」は、好きなことをしているときの嬉しさや、楽しいことがあったりワクワクするような天にも昇る気持ちになるほど幸せを感じる瞬間を体験することとは少し違っていて、もっとずっと深い私個人を超えた、人類を含む地球の心の奥底から、そして宇宙の果てからやってくるような壮大な、でもそれほど突然がつ~んとやって来たものではなく、本当はずっと前から私の中にあったのに気づいていなかったのだ、と言うようなものでした。

この時に「私はこのわたしのままでいいのだ」「私はわたしが生きたいと思ったように生きるためにここに居るのだ」と、私がこの肉体を持って存在していることそのものだけで、すでに大きな喜びなのだと心が大きく開いた瞬間でした。

前ふりでグダグダ書いた「疎外感」「孤独感」は実際にはなくなっていませんが、「私はこのわたしのままでいい」という気づきは、その「疎外感」や「孤独感」を小さな事に変えてくれたように思います。そして、スピリチュアルな成長を意識するあまり、自分に規制をかけていた自分にも気づく事が出来ました。ヒーラーなのに、○○なのはおかしい、とか、スピリチュアルを語っているのに○○○をするのはどうなんだ、とか知らず知らずに「自分がやりたいことをやる」というスタンスから、「自分はこうあるべき」という勝手な思いを自分に押しつけていたことにも気づきました。

一番大切なことは、「今この瞬間」の私であって、それ以上もそれ以下もないのです。人生は、「今この瞬間」の連続で、過去も未来もありません。「今この瞬間」を変えることで、過去も未来も変えられます。もちろん過去に起こった出来事そのものは変えられませんが、その出来事に対する自分の考え方や感じていたことを変えることによって、自分の過去を変えることが出来るのです。つらかった思い出が、普通の出来ごとの思い出に変わると言うように。

たとえ100%の理想からはかけ離れていたとしても、今この瞬間の自分を愛おしく思い、理屈とか建前とか、外部からの目とかではなく、真に自分がそうしたいと思うことを出来るだけ行っていくことによって、未来も確実に変わって行くはずです。確信を持って言えることは、人生に間違った選択など一つもないと言うことです。その時間違ったと思ったとしてもそれは必ず意味のあることとして自分に還元されるのです。だから勇気を持って、決断して生きて行けばよいのです。過去も未来も変えられるのだと思えば、大切なのは「今、この瞬間」だけです。

「今この瞬間」を大切に生きて行く、簡単なことのようで意外に出来ていない事でもあります。出来る限り意識をフォーカスして、生きていることを心から祝福出来る沢山の瞬間を生きて行きたいと思います。

2011.07.02

今この瞬間 その1

7月になりました。2011年ももう半分すぎちゃったってことですね。

この6ヶ月間は、達成感とか生産性とかという面から見ると、あまりにも何もない6カ月でした。何もしないで過ごしてきたわけではないですけど、目に見える成果を上げていないという点では、この3次元的世界において、そして他者からみるとあまり好ましくない時間の過ごし方だったかもしれません。

でも、自分的には結構意義のある時間を過ごしてきたように感じています。

ひとつ前の日記を書いてから、その時本当は書くつもりだったことをずっと書きたい、と思っていたのに、なぜかPCに向かうと書けなくなる、という日々を過ごしていました。あの記事を書いた10日ほど前は、エネルギーも循環している感覚があって、いろんな意欲も感じていたのですが、ここ数日気分的にあまり乗らない日々を過ごしていました。

直接の原因は不明ですが、急にいろんなことに対してやる気を感じなくなってしまったり、自分がやろうとしてたことや、それに似ているような事で他人がやっていることなどが、ばかばかしく意味のないものに感じられたり、自分のたましいのレベルが自分が思うように成長していないような気がして落ち込んだり、ひとつ乗り越えたと思った感情の起伏の波がまたやってきたことを悟って、ため息が出そうになったり。。。

多分これは自分が一つステップを上って違う景色のところに来たためにこんな風に感じているのではないかとも思っているので、そう考えれば決して悪いことではないとも言えるのでしょうけれど、私はこの人生で、こういう風に急にいろんなことを内向させて、自分の殻に閉じこもってしまう事を割と頻繁に、そして定期的にやっているようなので、ステップを上がったのか、定期的な波が来ただけなのかは本当のところは良くわかりません。

こういうときはガイドやハイヤーセルフにヘルプを頼むと良いのでしょうけれど、原因が良くわからず、自分がどうしたいのかも良くわからないので、何を頼めばいいのかすら良くわからない状態です。まぁ、軽いウツ状態のようなものでしょうか。

そんなことで、特にこの2,3日間、膨大な時間をほとんど何もしないで過ごしてしまいました。そう思うと少し残念な気持ちになりますが、過ぎ去ってしまった時間についてあれこれ考えても仕方ないので、今は、これからの時間について計画を練り直そうと思っています。

私の近況はさておき、そうずっと「今この瞬間3次元に居る私たち」について書きたいと思っていたのですが、この元気のなさで上手く表現出来るかどうかわからないので、その前ふりを書いてみます。(前置き長すぎ・・・)

*****

今この瞬間3D(3次元)に居る私たちのことを考えているときに、辻麻里子さんの著書「22を超えてゆけ」を読みました。これは「神聖幾何学」についての日本語の本が欲しいと探していて検索にかかった本です。いやはや、想像以上の凄い本でした。この本を読んで、いろいろなことを再発見し、また上手くつかめていなかったちりばめられて形になっていない抽象的思考などを具体的な形にすることができたりと、とても有益な情報が沢山入っていました。ある程度の意識レベルに到達した人たちにとっては非常に役に立つ本だと断言します。

しかしながら、この本は、有益な情報以外に私が子供のころに感じていた「疎外感」「孤独感」を蘇らせてしまいました。もしかしたら、それで落ち込んでいるような気持ちになっているのかもしれません。それはとてもつらい気持ちだったからです。

私は子供のころから、自分は「ある使命を持ってここに生まれてきた」らしい事に気づいていました。でも、それが何の使命なのか、そしてそれを知るためにはどうしたらよいのかさっぱり分からず、またそんなアイデアを共有できる人は周りには見当たりませんでしたので、誰に聞いて良いやらどうしたらわかるのか皆目見当もつきませんでした。わかっていたことは、「わたし」という個人的な存在はその使命の前ではあまり重要ではなく、その個人をも超越するような大きな事だと言うことで、それゆえ私一人の力ではいかんともしがたいものなのだと言うことでした。周りの人たちがそんな「使命」などとは関係なく、私にとっては本当にどうでもいいようなくだらないことで一喜一憂しているのを、ある意味見下しながらも、うらやましく思っていました。自分の人生の目的を思いだせない焦燥感と絶望感を他人は感じていないのだろうか、それとも完全に忘れてしまっているのだろうか、と思うたびに、絶望に加えて孤独感、そして疎外感を感じていたのでした。私は彼らとは違うのかもしれない、と。それは、他人と違うことによって優越感を感じる、と言うような自我に基づいたある意味幼稚とも言えるような程度の低いエゴから来るものではなく、もっと自分の深いところからやってくるかすかな光のような、確実にそこに在って、いつも私とともにいる見えない何かからの働きかけのようなものでした。そして直感的に他の人たちだってそれを持っているはずだと知っていましたが、私以外の人たちはその存在を気にも留めていない、あるいは気づいても居ないようだと感じていました。

いつか私のこのような気持ちを共有できる誰かが現れるはずだとずっと小さいころからその時を待っていました。私の友達は宇宙の遠いところに居て、その友達と自分なりの方法で交信していましたが、彼らが私のすぐそばにいないことは知っていましたし、彼らは私のしりたい答えは教えてくれませんでした。

そんな幼少時代のせいか、私はグラウンディングがきちんと身について居ないのかもしれないとは感じています。でも人並みの教育を受けて、人並みには社会生活もしたし、会社勤めや友人交流もしたので、大人になってからはマテリアルなことは一応それなりに出来ているはずなので、特に困っては居ませんが、今でもその子供のころに感じていた「疎外感」はなくなっていません。というかなくなっていなかった事にまた気づかされてしまいました。

仮死状態で気絶して生まれてきた私は、この地球の3Dに来ることを本当には望んでいなかったのではないかと疑っています。退行催眠とかやったことないので、本当に望んでいなかったかどうかは謎ですが、そんな気がしています。本当は記憶を持って生まれてきたかったのに、気絶した時にすべてを忘れてしまったのではないかと、そしてそのことに対して憤りと悔恨を持っているのかもしれません。

まあ、とにかくそのようにこの人生にしっかり根ざすことをどこかで拒否している私が、次元上昇を含めた目に見えない事象に心ひかれるのは自然の成り行きでもありました。

でも、アセンション=次元上昇はこの瞬間に3Dをしっかり生きていなければ果たしえないことなのです。たとえ論理的に次元上昇を理解したとしても、それだけでは何の役にも立ちません。それゆえ今、この時代に肉体を持って、文字通り3Dから次元上昇を果たすプロセスを体験することを私のたましいが望んだのだと思っています。それが生まれて間もない幼少期に絶望するぐらい嫌なことであったとしても、私はそこから立ち上がってこの人生を実りあるものにしなければ、望んでいるたましいの成長はあり得ないのです。そして、理屈では分かっていたこのことを、初めて本当の意味で体得したのはほんの2年ぐらい前の話です。

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