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    私は意志
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    私は完璧にデザインされている

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2010年7月

2010.07.26

Visualisation - ヴィジュアライゼーションの威力

先週、事務所で上海から帰ってきたばかりの人と3時間以上にわたるミーティングをしました。彼女は上海で喉をやられてしまい、声がかれてひどい咳をしており、曰く「上海エキスポで講演したり、うるさい中国人相手に(苦笑)、大声で話したり、とにかく話し過ぎたから、喉を痛めたのよ」とのことでしたが、どう見ても風邪か呼吸器系への何らかのインフェクション(感染)のような症状でした。

ちょうど疲れがたまって免疫系が弱っていることを自覚していた私は、なんとなく嫌な予感がしましたし、実際彼女とミーティングをしているうちに、鼻の奥がなんとなくヒリヒリしてきたことに気がついたのですが、重要なミーティングだし、真剣に話し合っていることもあって、その違和感に対しても「気のせい」とあまり注意を払わずに数時間彼女の隣に座って話をしていました。

ミーティングが終わった時に、鼻の奥に熱を持ったような違和感があると感じたのですが、軽い夏の花粉症(ヘイ・フィーバー)のある私は、その症状だと思って、仕事の後にトリートメントの予約が入っていたので施術を行いました。ところが施術中というのは自分の感覚に集中するためなのか、自分の身体の症状に対してもかなり知覚が鋭くなるため、どうやら鼻の奥の違和感は何か菌やウィルスのようなものがそこに入って来てしまったせいだと自覚し始めました。彼女の感染を貰ってしまったようです。

まずいです、ピンチです。実は28日の水曜日からずっと楽しみにしていたショートホリデーでフィンランドに行くのです。それもラリーというモータースポーツを見に行くので、朝から晩までハードスケジュールが数日間続くから、体調を万全にしておかないと楽しめないどころか、自分がつらくなります。

家に戻り、ビタミンCをたっぷり補給し、サイダービネガー(リンゴ酢)ドリンクを飲み、鼻の奥から喉頭にかけて、熱を持っている部分にレイキをして、喉の浄化のヴィジュアライゼーションをして休みました。とにかく免疫系を強化しないと、あっという間に菌にやられてしまいます。

それにしても、ここ数年の私は呼吸器系が本当に弱点になっています。この某アロマ団体の仕事をするようになってから、何度となく喉や気管支の感染にやられていますが、すべて免疫系がダウンした時に起こっています。

風邪など呼吸器系から入ってくる感染症は、感染の順番がはっきりしていて、菌がどこまで進んだかが手に取るようにわかってそれはそれで面白いと思います。この時点では、鼻の奥から喉頭に届こうとしているところでしたので、自分が不快な以外は他人にはあまりわかりません。鼻水などの粘液が過多になるから頻繁に鼻をかむぐらいです。それが喉頭を過ぎると声がおかしくなってきて、気管から気管支に届くころから咳が始まるはずです、最終地は肺ですが、肺へ到達したときの咳は非常につらいです。

朝起きても感染のエネルギーがあまり変わっていないことで少しがっかりしました。私の免疫は本当に弱っているようで、感染が下に向かうことは食い止められているものの、そこでそれを消滅させるほどではないみたいです。健康時にはそれが出来ていたので、何年も風邪などを本格的にひかないでいられたのです。真剣に食生活を考え直さないといけないと思いました。呼吸器系の粘膜を刺激するものをもっと特定して減らさないといけないし、免疫を高めるものをもっと取らないといけないのでしょう。ベジタリアンのくせに大して健康食を食べていないのもいけないのかもしれないです。

感染のエネルギーが変わっていないので、次の手を打ちました。菌を死滅させる力が今の私の免疫にないようなので、感染を広げないようにまだ到達していない感染経路を先回りしてプロテクト(保護)することにしました。ビジュアライゼーション(視覚化)での保護です。日本語風に言うと、「イメージ療法」というのでしょうか。

ということで瞑想です。

最近私は、初心に立ち返って、瞑想でグラウンディングを強化することを始めていました。単純ですが、どうやら逃避癖のある私のスピリットを今一度しっかり地に結びつけることを訓練しています。

なので、まずは地球にしっかりグラウンディングして、そのあと地球からのエネルギーと宇宙からのエネルギーを使って最終地である肺を、この感染菌には決して踏み入れることのできない波動の光で保護しました。上手く行きました。次の気管支も肺と同様に上手く行きました。もう少し上がって気管までいくとすでに感染菌のいくつかが気管の上部まで踏み込んできているのがわかりました。光が暗くなって、波動が下がってしまったのです。そこで、もう一度肺と気管支を自分の体を最大に保護する波動の光で強化して、自分にアファームしました。とてもはっきりと視覚化できたので、絶対にここまで菌は来ないと信じることができました。

その日、感染の進行が止まったのがわかりました。喉のところから先にいけなくなったのです。

上海からこの感染菌を持ってきた彼女の症状を見ていると、とても強力な感染であったことがうかがえます。あのままでは免疫の落ちている私にはひとたまりもなかったことでしょう。このヴィジュアライゼーションを行って4日が経ちましたが、感染はそれ自体は弱まったもののまだ消えていません。喉のあたりにまだ貼りついています。でもそこから先にも進んでいません。やっぱり進めないのです。

ヴィジュアライゼーションにも上手くいくものとそうでないものがあります。例えば、感染した日の夜にも喉のクレンジング(浄化)のヴィジュアライゼーションを行ったのですが、上手く視覚化出来たにも関わらず、あまり効果がありませんでした。クレンジングに使ったのが光ではなく、水だったからいけなかったのかもしれませんが、原因はわかりません。

細胞が上手く反応するような視覚化が出来ないとこの方法は有効にはなりませんし、何よりも自分が100%信じないと起こりません。

私は、あらゆる病気や症状の初期に、必ずこのヴィジュアライゼーションを行います。かなり昔に、健康診断で良くない兆候を指摘されたときに、実際病院で処置することになり、その日までの数週間を使ってヴィジュアライゼーションで治したこともあります。この時は実際に病院に行って、処置する前のテストでOKを貰って何もせずに帰ってくることになったのでした。深刻な病気ではありませんでしたが、放っておけば深刻になりえたものでしたので、この時の経験は人間の身体の可能性について、とても大きな影響を私に与えてくれました。

そうはいっても、そんなに簡単に治るものではない場合もありますし、上に書いたように上手く反応してくれない場合も沢山ありますから、不安があったら必ず医師の診断を貰ってください。こういうことは、自分の体との対話を始めることからスタートさせ、身体を良く知って、自分の身体の反応を良く知って、身体の仕組みを理解したうえで行わないと、独りよがりの妄想にもなりかねないからです。

先の日記にも書いたように、クレニオのテクニックであるSERもこの視覚化を沢山使いますが、人間の身体の細胞や組織は、言語を話しませんが、視覚されたイメージでメッセージを受け取ることができるので、こういうヴィジュアライゼーションもトレーニングして上手く視覚化出来るようになれば、身体はどんどん答えてくれます。

風邪や頭痛や腹痛などの比較的軽い症状から、ぜひ試してみてください。

2010.07.22

CST クレニオ・セイクラル・セラピーが施術にもたらすもの

数あるセラピーの中で、私自身が受けたいセラピーのリストの一番上は、常にCST、というほどこのセラピーの威力というか効果を実感しています。そして自分もこのセラピー施術からおそらく一番いろんなことを学んでいます。

基本的に補完療法セラピーは、どれも施術者の個々の個性を色濃く反映するものだと思います。つまり、私が提供するアロマセラピーは、他のアロマセラピストとは違ったものである筈ですし、私のCSTと別の方のCSTがまったく違うアプローチをしているからと言って、取り立てて驚くことではないと思います。そして、これはどれが正しいとか間違っているとかいう問題ではありません。また当然ですが、同じセラピストが提供する同じセラピーでも、クライアントによってはかなり違ったアプローチをすることもあり得ます。

これは補完療法セラピー全般が、生きている「人」を「人」が施術するからそうなるのです。「症状」や特定の「部分」を施術するわけではないので、一人ひとりが全員違った人間であれば、その数だけアプローチの仕方があるのは、よく考えれば当然のことです。

マッサージやアロマセラピーなどのボディワークも、セラピストによってアプローチは違う訳ですが、これがさらに精妙なものを扱う割合が増えるに従って、その違いの程度が大きくなるように思います。何度も言ってますが、違いというのは、良い悪いではなく、個性ということです。波動や進化の段階を表すこともありますが、誰がえらいとか、優れているとかいうことでもありません。

CSTを数年施術してきて、私のクレニオは精妙なボディに働きかけるアプローチになることがとても多いと感じています。別にそういう風に導いているつもりはないのですが、私がセラピストとして真っ先に知覚するのが、エスリックボディとアストラルボディの状態であることが多いからなのかなと思っています。ライトワークとボディワーク、両方の側から施術することが可能なので、無意識に両方からアプローチしているということになるのだと思います。フィジカル(物理的)な緊張(凝り)も、その緊張がエーテル体やアストラル体(感情体)、メンタル体(精神体)、時にはスピリット体(霊体)に及ぼしている(または及ぼされている)ことまで含めたトータルでクライアントを見るようになっているのでしょう。

それゆえクライアントに向き合う時に、「どんなセラピーを提供するか」という視点で考えるのではなく、「その方がホリスティックにバランスのとれた状態になるように私が出来ることを提供する」、という視点からのアプローチになります。

マッサージのようなボディワークしかしていなかったら、身体症状に、フィジカルに立ち向かって、自分を知らないうちに消耗したりすることがもっと多くなっていたかもしれません。セラピストになってから間もないうちにCSTを学んだことは私のセラピストとしての資質に重要な気づきをもたらしてくれたと思っています。

人間の細胞は「気づき」という干渉を感知すると、波動を変えて動き始めるのです。だから例えば、緊張でガチガチに固まってしまった筋肉や組織を特定しただけで、その細胞は干渉されたことを察知し、バランスのとれた状態に戻ろうとし始めるのです。施術者は、それを手助けすればいいだけなので、かたまってしまった筋肉に必要以上に無理な圧をかけることなく、干渉されたことで動き出した組織や細胞を正しい方向に向くように助ければいいわけです。理屈としては施術者も、被施術者(クライアント)にも無理なく楽な状態に持っていけるということになります。施術者が筋肉の反応や細胞の干渉に対する反応を観察することなく緊張をほぐそうとすると、クライアントは必要以上に痛みを感じたり不快感を感じたりするし、セラピストも消耗してしまうのです。

自慢ではないですが、私自身、かなりの凝り性で、肩、背中、首、腰、脚などいつもかなり凝っています。ちょっと押されても不快に痛いぐらいガチガチになっていることが多いんです。それを過度に痛くなることなく上手にほぐしてくれるセラピストにはまだ数えるほどしかめぐりあっていません。今まで受けたほとんどのマッサージが、痛すぎるか、軽すぎるかのどちらかで、そのどちらとも満足を感じることからは程遠くなります。この2つのパターン(痛すぎるか軽すぎる)に共通しているのは、「セラピストの手が私の体に話しかけてこない」ことです。たいていのプロのセラピストなら、凝っている組織や筋肉を特定することは出来るのですが、特定した後に必要以上に凝っているからぐいぐい力任せに押して凝りをほぐそうとするのが、痛すぎるパターンの方で、軽すぎる方はおそらく凝っている組織を特定すらできていないのだと思われます。

CSTでは、身体の中でバランスが崩れている部分を、微妙な脳脊髄液のパルスなどを測って特定して、その部分の組織が、自力でバランスに戻ろうとする意志をサポートするためにに微細な力で働きかけていきます。特定したことによって組織が動き出すという魔法のような体の偉大な力を目の当たりにするので、CSTのみならず、マッサージなどでも「私がほぐしてあげよう」などとは2度と思わなくなります。本人の体の力を使った方が何倍も効果が上がることを頭ではなく体得して認識するのです。

こういうアプローチで施術すると、マゾのクライアントたち(マッサージは痛いほど強く押すものが良質だと硬く信じている人たち)の中には、痛くないから圧をかけていないと思うのか、もっと強い圧にしろと言われることがたまにあります。でもそんな場合でも実際はかなりの圧で押しているのです。身体に押されても不快な痛みにならないところを先に聞いて、その圧を徐々に深くしていくというアプローチを使っているので、組織が余分な抵抗をしてこないために本人はそれほど痛くないから、クライアントの意識だけが圧が十分でないと思ってしまうようなのですが、こういう身体の波動しか感じられれない、「波動的に濃い」人たちには、実際の身体は不快でも多少の痛みを感じさせてあげないと、意識の方が満足しないようです。

とにかく、そういう理由からCSTは、身体への影響ももちろん高いですが、エスリック、アストラル体への影響は測り知れません。そして感情解放のプロセスも本当に見事です。身体の凝りが、物質的な理由からくるのか、感情的な問題なのか、触っただけでわかるようになったのは、CSTをやったことが大いに貢献しています。

そしてそのCSTの応用編のSERは、私のライトワークのアプローチと密接に結びつきます。それゆえ私のCSTは、ヒーリングに近いと感じる人が多いのかもしれません。実際にはCSTを行っているのですが。

今の私たちは、3Dから4Dにほぼ移行していますから、もっとCSTが必要になっているはずです。沢山の人に試してもらいたいと心から思います。

2010.07.18

金縛り

ずいぶん前の日記に書いたことがありますが、私はとにかく金縛り体質で、疲労がたまったり、睡眠不足が続いたり、不規則な睡眠を取ったりすることに加えてストレスや心配事があると、頻繁に金縛りにあいます。たいていは寝入りばなになるのですが、時々睡眠中や、目覚めのころに起こったりもします。

初めて金縛りにあったのは中学1年の時でしたが、とても悲しい出来事があって、それを引き起こしたいろんなことに腹を立てていて、自分の無力感をいやというほど感じ、とてもストレスを感じている時でした。

それ以来あまりにも頻繁に起こるので、だんだんと慣れっこになってしまいました。もちろん子供の時は、金縛りにあうと幽霊が来たり、どこかに連れ去られそうになったりするので怖かったですが、金縛りそのものが霊現象ではないと悟ってからは、「怖い」ことはあまりなくなりました。でも、とにかく「不快感」が大きいのでやっぱり金縛りは避けたいものです。

金縛りについて調べてみると、たいていは子供や若い人がなるもので歳とともにあまり起こらなくなるとありますが、私の場合は歳とっても起こっているので、あまり関係ないような気がします。

金縛りの正式名称は、睡眠麻痺と言って、レム(REM=Rapid Eye Movement)睡眠中の骨格筋弛緩中に何らかの理由で意識が覚醒してしまった状態のことを言うそうです。骨格筋が完全弛緩しているので、覚醒してしまった意識が体を動かそうとしても反応しない状態になるのです。実際私たちは睡眠中に1時間半ごとにレム睡眠状態になるのですが、通常寝返りをうったり、無意識に体を動かしたりすることはこの時にはまったく起こらないのだそうです。通常は意識も同様に睡眠しているためまったく気がつかないわけですね。

そんなわけで、金縛りそのものは心霊現象ではありません。

では何故心霊現象と金縛りが関連付けられているんでしょうか。

私は上で自慢した(?)通り、かなりの金縛り(睡眠麻痺)体質なので、今までにもう数え切れないほど金縛りにあっています。というか遭わない月はないし、毎日毎週ある時もあります。そんな私の経験からの話なので、他の人には当てはまらないかもしれないのですが、心霊現象としての金縛りとそうでない普通の睡眠麻痺には、はっきりとした違いがあります。

私が日常茶飯事のようになる金縛りは、科学的に解明されている「睡眠麻痺」というものにほぼ間違いないですし、これは心霊現象ではないと私も納得できます。たいていは数秒前に「ああ、来るな!」という前触れがあります。確かに誰かにのしかかられているような感じや首を絞められそうになった、とか人の話し声が聞こえたとか、誰かにじっと見られているとか、腕を引っ張られているとか、そういう幻覚、幻聴をよく体験します。でも、これはほとんどその時の体の状態(体勢)が原因であったり、自分でそういう風に幻覚を誘導していたりするんです、よく気がつかないうちに。

これは、子供のころにあまりにも何度も金縛りにあうので、自分で何度も実験して結論を出したものです。つまり、金縛り中に「誰かがいる」と思うとその誰かが現れるし、「お化けが来る」とか思うとヒタヒタと足音が聞こえてくるんです。「連れて行かれる」と思うと手足を引っ張られたり、「殺される」と思うと首を絞められるような感覚を体験したり。ほとんど幻覚です。そして、わりと自分で誘導できます。

そして金縛り中はかなり感覚が鋭くなります。レム睡眠中なので意識が半覚醒状態の可能性があるため夢ではないかとされることもありますが、夢ではありません。金縛り中のことはかなり細かいことまで記憶に鮮明に残っていて夢のようにあいまいではないからです。ただし記憶に残るほどはっきりしていても、それが実際に起こっていることかどうかの判断はかなりあいまいになります。原因のひとつは、体の動きが抑制されるため実際に物事が起こっているかどうかの確認ができないということがあります。目をあけられなかったり、振り向いたり出来ないのだから仕方ないですよね。実際に誰かに呼びかけられて声を出そうとしたことが何度もありますが、声を出すことももちろん出来ません。

子供のころは幽霊より一生このまま起きられなくなるのではないかと思うのが一番怖かったです。金縛りって、動かない体を動かそうとするためにかなり疲れるのです。実際、無理に体を動かそうとするから呼吸も乱れてくるため、自律神経コントロール下の呼吸では息苦しくて死にそうにつらいですし。この睡眠麻痺の金縛りはほとんどが入眠の時に起こります。上手く睡眠に入れずに金縛りになるのがほとんどですが、この場合一度ちゃんと覚醒してからでないと何度も何度も金縛りに遭いますので、ちゃんと起き上がって、きちんと寝なおしをして入眠するようにしています。稀に睡眠中に金縛りに遭うことがありますが、ほとんどの場合眠いのでそのまままた眠りに戻っているようです。

さて、お待ちかねの心霊現象の方ですが、私の場合は睡眠中に起こります。何かの存在にたたき起こされる感じです。それがたまたまレム睡眠中というタイミングで起こってしまうと金縛り状態になることになります。

真偽のほどはよくわかりませんが、金縛り中の意識状態の波動が、他の次元のポータルにつながりやすいために、たまたまそこに霊やスピリットがいると、それを認識しやすくなるとも言われています。科学的に証明されている金縛りがレム睡眠中に起こるということなら、他の次元の波動とつながりやすいのはたとえ顕在意識は眠っていてもレム睡眠中ということになる訳ですね。そして霊の方から私の方に働きかけてくれば、意識が覚醒することもある、と考えられます。

私はそれほど強い霊感体質ではないので、あんまりはっきりとした心霊体験ってないのですが、金縛り中に霊体験を数度しています。そのうちかなりはっきりしたものの一つが父が亡くなった時に起こったものです。あの時体験した金縛りはそれまでの人生でおそらく何千回と体験した金縛りのどれともまったく違っていて、言葉では上手く表せないのですが、とにかく強力で一気に違う次元に連れて行かれたような感じで何の前触れもなく起こりました。何者かが私に向かって叫んでいるので目覚めさせられたのです。よく聞くとその声は「助けて~、助けて~」と私に助けを求めていました。間違いなく、それは母の声でした。私は自分がどこにいるのかもよくわからず、その声に答えようとしたのに声が出ず、体が動かないことで、やっと自分が金縛りにあっているのだと気がつきました。「これはいつものとは違う、どうしたんだろう?」と思っているそばからどんどんおかしな現象に引き込まれて行きました。感覚的にはかなり長い間体が動きませんでしたが、とにかくあまりにも強力なので、抵抗も出来ず、これは意図されたものだと思って、じっと起こることを傍観するしかなかったのです。

その時最後に現れた存在は、間違いなく父でした。そして彼が消えると体が元に戻って行きました。恐怖は全くなく不思議な感覚と父に関してなんとなくよくない予感がしましたが、時計を見るとまだ朝の4時だったので、取りあえず体を起して呼吸を整えてもう一度眠りに入りました。そして眠りに入っておそらく15分もしないうちにけたたましい音に起こされました。ちょっと前の金縛りでかなり疲れていた私は遠くで目覚まし時計が鳴っているのかと思ったのですが、起きてみるとそれは枕元の電話の音で、日本の妹から父の呼吸停止を告げられました。その時起こった心霊現象はまさに父からのメッセージでしたので、死ぬ前に私のところにメッセージを届けに来たのだとすべて合点が行きました。もちろんその時は信じたくなかったですけど。

私の父は、大きな病気を何度もしていて、5年前に亡くなる前にも2回ほど命を落としてもおかしくないことがありました。はっきり言ってくれませんでしたが、2回目は臨死体験をしているようですが、とにかくそのどちらの時もこんな風にメッセージを伝えに来たことはありませんでした。弱くなっていても突然亡くなるような感じではなかったので呼吸停止は本当にびっくりしましたが、そんな風に肉親に死を知らせに来る人は多いそうです。知り合いにも何人かそういう現象を体験した人がいます。

なんだかまとまりがなくなってしまいましたが、金縛りのことをなんで書いているかというと、今朝、すごく嫌な金縛りに遭って、とても苦しくてつらかったので、どうすれば金縛りに遭わないで済むのかをずっと考えていて、いろいろネットで調べたら、「金縛りは睡眠麻痺で霊現象ではない」と言いきっていることに少し違和感があったからです。

確かに金縛りそのものは霊現象ではありませんが、霊現象に遭遇しやすくなる、という風に私は解釈しています。違いは金縛りに何度も遭えばわかるようになります。でも、多分金縛りなんかに遭わない方がずっと幸せです。だって結局かなり不快なものですから。

2010.07.14

夏とグラウンディング

今年は、4年ぶりに夏らしい夏がやってきました。

そういえば4年前の夏は本当に暑くて、家にじっとしていられないし、エアコンのないロンドンで溶けそうになっていました。

かなり昔に、シンガポールに行った時に現地に住んでいた日本人の方が、「ここに住んでいると、物事が起こったのがいつだか3か月前なのか1年前なのか思い出せない時があるんです。記憶力の低下ではなく、毎日毎日似たような気候なので、分からなくなっちゃうんです。なので、人の記憶って、その時肌や体が体感していたことにしっかり結びついていることがよくわかります。出来事があったときって、寒かったとか暑かったとか、お気に入りのコートを着てたな、とか日差しがギラギラして汗びっしょりだったとかそんな感覚と一緒に記憶されるんですね。だから季節とは生活にメリハリをつけてくれる大切なものなんですよ」と言われ、なるほどと納得したことを思い出しました。

4年前の夏は、ワールドカップのドイツも暑かったですし、F1のサーキットも溶けそうなぐらい暑かったのでよく覚えています。そしてその頃私は完全フリーランスになったばかりで仕事量がまったく増えず、途方に暮れていました。やがて夏が終わり秋を迎えて、某アロマ団体で週に2回働き始めたのでした。

以前の記事に書いたと思うのですが、私の人生は3年周期で変化しています。なので同じことを4年やっているので、心理的にマンネリ化が始まってしまっていますが、それを抑え込んで9月までなんとか頑張ろうとしているので、どうも傾向的にいろんなことから逃避しようと顔をそむけがちになっているような気がします。

せっかく夏らしい夏なのに、気分はなんとなくロウです。

1つ前の記事風に書くと、「自分自身で自分をコントロールしようとして、そのコントロールされる方の自分がコントロールしようとする自分から逃避している感じ」です。

でもどの道9月までは逃げられないので、今私にできることは、しっかりとした「グラウンディング」なのだと思っています。

そんなわけでグラウンディングの瞑想をしています。足に根っこを生やすぐらいの勢いで地球の中心に思いっきりつながるような感覚の瞑想をしています。

そんなわけで、気分がロウです。落ちるんです、地球の中心に向かって。だから何に対してそんなに落ちるのか、目をそむけようとしているのかを見極めて、ひとつずつ浄化しようとしています。向き合って認めないと、その先に進むことも浄化を可能にすることも出来ないのです。

私は夏生まれなのですが、夏生まれにしては珍しいとよく言われるほど、夏があまり好きではなく、夏はいつもなんとなく気分的に落ち込み気味になります。星まわりとかエネルギーまわりがあまり良くないのかもしれません。もしかして未だに現世に生まれてきてしまったことを悔いているのかなぁとも感じています。

私が生まれてきた時も暑い暑い日だったそうです。生まれてきたときには、あまりの難産のためすでに気絶していたらしいので、もちろん覚えていませんが。でもきっと体が覚えているのでしょう。だから暑い日にはものすごく苦しかった誕生の時のことを思い出して気分が落ち込むのかもしれませんね。

2010.07.04

Control コントロール

私は物心ついてから若かりしころまで結構なコントロールフリークでした。もともとの気質がそうなので今もその傾向はあります。

でも、普通に多文化、多人種が混在するロンドンで暮らしてみてすぐにすべてをコントロールするなんて到底無理だということを、嫌というほど知らしめられたので、他人をコントロールしようとすることはほぼ手放せています。もちろん歳を重ねて、さまざまな経験をして来て、コントロールの無意味さを理解できたこともその一因ではあります。

でも、上に書いたようにもともとの気質がコントロールフリーク気味なので、まだまだ自分自身や、物事に関して無意識にコントロールしようとしてしまう傾向が時々あって、その都度内省させられています。これも私の現世での課題だと認識しています。

コントロールは必ず、自我(エゴ)のパワーを気づかずに使っています。例え方があまり良くないですが、自分のパワーで他人や物事を自分の望んでいるようにねじ伏せようとするのがコントロールです。そしてそのパワーとは、大体においてエネルギー(気)のことで、それを無意識に使ってコントロール下に置こうとするのです。目的がコントロールなので、手段として使うエネルギーは様々な形を取ります。感情だったり、理屈だったり、本当に自分から発せられる気だったり。

こんな風にある意味においてエゴのパワーが強い私が他人を癒すセラピスト&ヒーラーになった、というのも考えてみれば不思議な話です。まぁ、私はおよそ他人や他人の考えていること、他人の行動など自分以外の人間には無頓着で、興味の一点は私自身という激しく自己中心的な人間なので、私のエゴは「自己顕示欲の強さ」とか「人を支配する」とか、「権力を渇望する」、とかいうところからは遠く離れているため、セラピストやヒーラーという職業でもやっていけるのかもしれません。コントロールフリークなのに他人に興味がない、というのも変な話ですが、私のコントロールしたいこととは、簡潔に言うと「私が思った通りにことを運びたい」という一点であり、他人と競うということにはあまり興味がないのため、ヒーリングに関しては私のエゴはあまり発動しないのかもしれません。

とにかく、そんな風にコントロールに対して異常な反応をして来た私ですので、当然他人のコントロールに対してはとても敏感です。自分の意識に上らずともほとんど本能的にすぐに嗅ぎつけることが出来ます。長いこと多文化多人種の国で暮らしているので、コントロールをしてくる人に対して上手に対処できるようになりましたが、それでも難しいものが、多々あります。

少し前にイギリス人の友人に「どういうわけか自分が馴染めない環境におかれていること」について話をしたのですが、最近になって、それが知らずにコントロール下に置かれていたからだった、と気づきました。私の無意識はとっくにそれに気が付いていて、出来るだけそのコントロールから遠ざかるようにアレンジメントが行われていました。それゆえ「馴染めない」と思っていたのです。つまり私がそこに深くかかわらないように様々な力が働いていたということになります。それは私がおかれたコントロールが作り出したのではなく、私の無意識がそのコントロールに対抗して作り出したものです。

無意識の賢さって深いと改めて思いました。

さて、真相がわかってしまったからどうしようかな。コントロールにコントロールで対抗しても無駄なので、無駄なことはせずコントロールに屈して死んだふりをするか、そこから立ち去るか。このコントロールを意識化したことによって状況が変わるかもしれませんので、100%純粋な光のエネルギーを当ててトランスフォーム出来るかどうか試してみようかと思います。

それにしても、3Dにいる限りはこういうコントロールからは逃れられないんでしょうかね。

2010.07.02

場のスペクタクル

9月のイベントに向かう前に、浄化が必要だと強く感じています。

いろいろ忙しくしているので、家の中は散らかりっぱなしですし、自分の仕事ややりたいことも中途半端に棚上げ状態、読んでいた本も途中で止まったままですでに読んだ最初の部分の記憶がどんどん薄れていってるし、これから先にもやらないといけないことが山積みなので、気持ちがちょっと焦り気味で、家の細かい掃除なんかやってる暇がないような気がして、います。

本当はこういう時にすべてを中断して、息抜きというかホリデーなどに出掛けるとリフレッシュして戻ってこれるのでしょうけれど、そんな状況ではないので、煮詰まった状態のまま、いろんなことを続けています。

何か良い気分転換でもあればいいのですが、家にいるとなかなか100%気分転換って難しいですね。昨日の日記に、「今日はゆっくりお休みします」と書きましたが、家にいて、普通のことをしているとあんまり気分転換にはならないですね。

ちょうどワールドカップをやっているので、世界各国のマッチを見ていますので、それが多少の気分転換になっています。何を隠そう、私は4年前のドイツ大会では、現地に数試合を見に行ったほどフットボールは大好きで、イギリスのプレミアやチャンピョンズリーグはずっと昔から見ています。なので、ワールドカップのような真剣勝負を見ることは大きな喜びにもなりますが、逆に大きな大会であればある程そこにアタッチしているさまざまなもの、人の感情や思惑、政治や駆け引きが、今のように疲弊している私にはトゥーマッチになってしまうことも多々あります。それにしても4年もたつといろんなことが変わるものですね、日本チームが見せてくれた頑張りも予想外の喜びでした。

TVで試合を見ていて思うのですが、やっぱり会場に足を運んで実際の雰囲気を味わうことはTVでただ見るだけとは比較にならない体験です。そこにあるありとあらゆるものと人々が作り出すスペクタクルは、実際にそこのエネルギーに触れないとわからないことだと思います。TVのちっぽけなスクリーンが映し出しているだけのマッチと、その場所で自分の五感で体感することに差があるのは当然ですが、実際にその場所に行って体験してみないと、本当の意味でそれをは理解できないものだと思います。自分が想像していたものとは違うものが必ずそこにはあるのです。

それはフットボールだけではないです。他のスポーツもそうですし、コンサートやギグ、フェスティバルなどのイベント、芝居やミュージカル、オペラなどの観劇もそうです。だから私はライブ(生観戦)が大好きです。あんまりその場にいけないのが残念ですけれど、一度でもライブ体験するとものの見方が変わります。

実際に何かを観戦に行くと、結構「ハッとする」瞬間に沢山出会えます。それは見に行った試合やイベントの本番だけでなく、そこに行きつくまでに起こる様々なことも含まれています。そして、それこそがライブの醍醐味なのだと思います。TV見てるだけでは到底味わえない「臨場感」と全身全霊で感じる波動、実際のプレーヤーたちの様々な条件での戦いやパフォーマンスと、何万人もの「思い」のエネルギー、現場でなければ体験できない様々な小さな出来事の数々。

スポーツなどを結果だけで判断するなら、TV見てればいいんです。というかTVすら見る必要もなく、後でペーパーで順位や勝ち負けだけを見ればいいんです。結果だけを見てあーだこーだと言う人もいるでしょうし、ハイライトをかじってすべてがわかった気になる人達もいるでしょう。世の中の大半の人たちはそういう人たちだと思います。

現地観戦は、すべてのプロセスを楽しみ、すべての出来事に自分もコネクトしたいと思わせてくれる体験です。そして現地に行き、ライブ観戦する人達は、多かれ少なかれ、意識しようとしまいと、そのイベントを作り上げているすべての要素の中にパズルの1ピースのように自分も入りたいと願ってそこに行くのだと思います。

量子力学では、どんなに小さいことであっても、そこにあるすべての要素が出来事を構成していることが証明されています。どれだけ些細なことであろうと、そこで起こることにその要素が欠かせない一因となるのです。一人一人が誰かを応援したり、何かを願ったり、嬉しく思ったり、怒ったり、笑ったり、泣いたり、するという小さなエネルギーを過小評価してはいけません。「どうせ私がそこにいなくたって何も変わりはしない」と思ってしまうと、その通りになります。

私が今骨を折ってほかのことをすべて棚上げにして準備している9月のイベントも、来てくださった皆さんが、自分も「参加した」、そして「来てよかった」と思ってもらえるものに出来るよう精進していきたいと思います。

2010.07.01

半分

気がついたら今年ももう半分が過ぎてしまいました。

ここ2~3年、年初めから半場まで必ず海外出張などがあって忙しく、自分のリズムが取れないままに過ごすことが多くなっていましたが、今年も同様に日々が過ぎて行ってます。

忙し過ぎて自分を見失いかけているのかもしれません。何かをしていたことは確かですが、その「何か」が自分に還元されていないような、変な焦燥感と、抵抗しても仕方ないのだと思うあきらめの気持ちが交錯しているような日々が続いています。他人というか特定の団体に奉仕ばかりしていて、自分のことがおざなりになっているから、そんな風に考えてしまうのかなと思います。

こんな状態を何年も続けることはできないので、変化をしなければならないと感じているのですが、その変化を起こそうにも、あまりにも「縛り」がきつくて、自分のことを考える前に疲弊している自分がいる感じです。よくない感じですね。。。

今年は私にとって決断の年になると2年前にハイヤーセルフに言われ、昨年末に同じようなことを言われたにもかかわらず、今のところ忙し過ぎるのと疲れ切っているのとで、決断とかそういう雰囲気じゃないんですけど、半分が過ぎてこれから何かが起こるのかな?

もうここまで来たら2か月半後のイベントも、なるようにしかならないのだと思います。最初にイベントが決まった時に、殺されるかもしれないと真剣に思うほど状況が深刻になることも予測できたので、それを回避するために責任の分散を図ろうとしたのですが、上手くいかなかったようです。

こんな風にに疲弊しきってしまうほど無償奉仕をしている私に、望んでいるヘルプが現れないのは、私の人徳がないからなんだろうと痛感しています。

私にも今やっていること以外にやりたいことがたくさんあります。というかそれをやりたいと切望していることがいくつかあります。でも状況がそれをさせてくれないので、苛立っているというのもあります。こんな状況も次のステップに行くためのチャレンジなのでしょうね。

どっちにしても逃げ出すことができないのだから、体を壊したり無理をしないように出来るだけ状況を楽しまないと損ですよね。そして明日のためになることを積み上げていければ、こんな風にプレッシャーを感じたこともきっとあとになって、経験してよかったと思える日が来るのでしょうね。もちろん将来よかったと思うために今生きているわけではないので、どれだけフラストレーションがたまっていようと、自分がしていることが自分にとって正しいのかどうかわからない苦しい状況だろうと、その瞬間に出来うるベストを積み上げていくしかないのですよね。

取りあえず、2月に例のコースが始まった時から今まで休みなしにあまりにもたくさんのことをさせられて来ましたが、今ここで折り返しをして新たなスタートを切りたいと思います。でもその前に、明日はちょっと休憩しようと思います。

今日は睡眠中にたましいの旅が出来たらいいな。。。

ちなみに、今現在の天使のエネルギーは、Pahaliah(パ・ハー・リー・ヤーと発音)。

The Angel for the next few days is Pahaliah – (pa-HA-lee-YAH). This is the Angel of redemption. Redemption has two meaning; to get the value of something back and to be delivered from bondage. Pahaliah works on the emotions allowing us to claim the understanding and wisdom that our emotions hide us from. We find our ...true value and are freed from the bondage of lower emotions. (Christine Core)

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