私の中の誰か
私は私の中にいる「誰か」をずっと怖れて生きてきたように思います。
その「誰か」が表面に現れてきそうになると、必死で抑え込み、時には、自分にとって究極的に正しいと思われること、やりたいこと、言いたいこと、するべきであったことなどから、目をそむけたりして、小さな自我に安住することを無理やり選択し続けていました。
それほど無意識の領域とは、未知なるものであり、特に自意識が高かったりすると、自分はその顕在意識が信じている「自分」だけが「自分」だと思いこみ、少しでも自分が知らない部分が顔を出すと、「そんなはずはない」、「それは私ではない」、と、困惑や恐怖を感じたりするのです。
「自分はこういう人だ」という自覚が大きければ大きいほど、未知なる自分に遭遇することが恐怖や苦痛などの目に見えない、自覚のないストレスになって行ったりするわけですね。
私という存在は、今私が「わたし」と意識している存在の何倍もの存在である(実際にはサイズの問題ではなく、すべてにおいて凌駕しているものという意味)と気づいてからは、その「誰か」に都合の良い時だけコンタクトしたくなったり、意見を聞いたりを試みるようになるのですが、矮小な「低次の私」の思うようにはなかなかなりません。
そして相変わらず、その矮小な「低次の私」は、その「誰か」を恐怖により抑え込んでいます。私という存在全体が解放されてしまうのを何らかの理由により、激しく恐れているのです。
だって、私は本当は気がついているのです。例えば今やっていることのうちのいくつかは、とっくに見直しを迫れられていて、見直しも終わって、本来はその活動も終わりにしなければならない時期に来ているのです。が「低次の自我」が「ダメ!!」とその諸々を抑え込んでいます。だから、私はここ数ヶ月アンハッピーだし、フラストレーションも抱えているし、ストレスもあるし、落ち込みもある、正直に言うと、はっきりとそれらを自覚もしています。私の意志や情熱はもうそこには余り残っておらず、ただ「社会的責任」とか、「経済的不安定さに対する不安」とか、諸々のかなり3D的なしがらみが私をとどまらせているだけなのです。
少し前までは、それもアンカーリングのために必要なのだと思っていました。要するに私がフローティングしないように、大地に足をしっかりつけさせてくれているのだと理解して納得していたんです。でも今は、それが自分の波動を上げるために行っているすべてのことの効果を台無しにしかねないほどディスタービングになってきているのです。
私の中の「誰か」が内側からノックしています。
It's high time!! You must step forward to another dimention... Let go all your fear, now.
3Dに居ることを忘れずに、でも3Dからの次元上昇を目指し、ライトボディを目指していることを自覚し、解決法を見つけていくことが私の3Dでの課題なのだ、とその「誰か」がおっしゃっております。そして恐怖に打ち勝ち、この「誰か」を抑えつけずに解放したら、きっと意外に簡単に解決するのではないかと、頭ではわかっています。あとは私のスタボーンなレジスタンスと折り合いをつける方法を探さないと、ですね。
もう若くないんだから、世間を驚かせることはしないようにしたいと思います。
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私も今状況が一緒です
私の場合は内なる自我が独立して完全に出てきてしまって今大変です
これからも四苦八苦しますが、なんとかハイヤーセルフの集合体がカバーしてくれていますので苦しみはかてになっていると信じています
投稿: lunar | 2009.12.14 17:26
lunarさん
コメントありがとうございます。
内なる自我が完全に出てきてしまうと、周りとの軋轢が大変になってしまうのでしょうね。御苦労お察しいたします。
自己成長のためには、絶対に避けて通れない「自我」の問題なので、ある意味でその問題に正面から向き合えるところまで成長してきたのだと解釈し、これからの励みにして生きて行きたいと思います。とてもとても難しい問題ですが・・・。
投稿: Aurora Amethyst | 2009.12.15 00:32